長時間のライドを行うサイクリストにとって不可欠なのが、しっかりとした栄養とエネルギーの摂取。自転車によって消費されるエネルギーは、平均20〜30kmで走行した場合、1時間あたり700kcalにも及ぶといわれており、一歩間違えば「ハンガーノック」と言われる低血糖状態に陥ってしまうのは有名です。
神奈川県立保健福祉大学教授の鈴木志保子さんは、アスリートを栄養・食の面からサポートする公認スポーツ栄養士のパイオニアとして、『北京オリンピック』のソフトボール女子日本代表チームをはじめ、マツダ株式会社の陸上競技部や車いすバスケットボール男子代表チームといったアスリートたちをスポーツ栄養マネジメントに基づいてサポート。自転車競技でも、U23全日本王者の中井彩子さんやその弟である中井康太さんをサポートしています。
はたして、サイクリストはどのような栄養を摂るべきなのか? そんな疑問をぶつけたところ、鈴木さんは「栄養を誤解している!」とバッサリ。いったいどういうことなのでしょうか? 毎年愛媛を訪れているという鈴木さんに、サイクリストにおすすめの愛媛グルメとともに伺いました。
──サイクリストというと、エネルギーのための糖分や、筋力のためのたんぱく質の摂取が大切というイメージがあるのですが、一番おすすめの食べ物はなんでしょうか?
鈴木:はぁ……(ため息)、やっぱり、そう短絡的に考えてしまいますよね……。
──え!?
鈴木:栄養サポートというと、「これを摂りなさい」「あれはやめなさい」といった、薬の処方箋のようなアドバイスを期待されがちなのですが、スポーツ栄養の基本は「こういう生活の状況で、こういうトレーニングをするから、こう食べる」ということ。
鈴木:たとえば13時に練習を開始するときに、12時から栄養バランスを考え抜いた昼食メニューを食べても、食べてすぐに練習にのぞむことになりますよね。
それは消化・吸収も考慮されていないし、身体への負担も大きくなります。単に「食べればいい」というものではないんです。
そもそも「スポーツ栄養マネジメント」は、長期的な視点からアスリートの身体をつくり、具体的な目的の達成に向けて、生活の状況やトレーニングを含めて、食や栄養をマネジメントする仕事です。
食べる内容はもちろん、食事のタイミング、栄養素として吸収されるまでの時間、トレーニングの内容、睡眠や移動時間などの生活全体を視野に入れながら、アスリートにとってベストな状況をマネジメントしているんですよ。
──単に栄養摂取だけではなく、誰がいつどこでどうやって食べるか、ということを考えなければいけないんですね。
鈴木:そう! まず、それを前提にしなければなりません!
──鈴木先生は、『全日本選手権ロード女子エリート U-23』王者の中井彩子選手の栄養サポートも行っています。自転車競技の場合、栄養マネジメントの立場から見てどのような特徴がありますか?
鈴木:自転車競技のなかでも、ロードレースで長い距離を走るアスリートは持久力を必要とします。
体重が軽いほうがエネルギー効率が良いいっぽう、筋肉の大きさによって筋パワー(筋力×スピード)が決まるので、ある程度太い筋肉が必要になってくる。
鈴木:一概にいい悪いという基準があるわけではなく、それぞれのアスリートに合わせてバランスのいいラインを見つけていくことが必要ですが、どちらかというとほかのスポーツに比べて、自転車競技のアスリートは体脂肪率が高めの人が多いですね。
──たしかにサイクリストというと、同じく長距離を走るマラソンランナーなどに比べて、身体がややふっくらしているアスリートが多いイメージがあります。
鈴木:まだ正確なことはわかっていないのですが、おそらく脂肪があることによって、潤滑油のような働きをしてくれるのではないかと考えています。
筋肉と筋膜の間には脂肪があり、筋肉が伸びたり縮んだりするときにこの脂肪が潤滑油のような役割を果たしてくれる。反復運動が多い自転車競技にはとても大切です。
しかし、脂肪が減るとこの潤滑油も少なくなり、筋膜炎や骨膜炎になりやすくなってしまう。女子アスリート全体の場合、体脂肪率が低く、平均10%台の人も多いのですが、自転車競技選手の場合は平均20%程度の人も多いんですよ。
また長距離を走行する場合、風を受けることによって汗が冷え、低体温症のようになってしまうこともあります。その意味でも、ある程度脂肪があったほうがいいのかもしれません。
──長距離のサイクリングの場合、エネルギー消費が激しい状態を何時間も続けることで、極度の低血糖状態で身体が動かなくなってしまう「ハンガーノック」という状態が知られています。これを回避するためには、どのような心がけが必要でしょうか?
鈴木:そもそもちゃんと栄養を摂れていないのに、走りすぎてハンガーノックになること自体が栄養を重要視していない証拠。自転車に乗る前に、普段からしっかりバランス良く食べて、自分自身をマネジメントしておくことが一番です。
ハンガーノックになってからはもちろん、レースがはじまってから栄養をなんとかしようというのでは、あまりにも遅すぎるんです。
──胃の弱いサイクリストだと食べ物を消化できず、サイクリング中の栄養補給もままならないといいますよね。
鈴木:運動強度が高い状態になると消化活動を抑制してしまう人は多いですし、ストレスも消化に強い影響を及ぼします。また、運動中におけるストレス耐性や消化吸収力は人によってまったく異なるんです。
もちろん私が栄養サポートしているアスリートは、普段の栄養マネジメントだけでなく、レース中にどんなことがあってもいいようにさまざまな状況を考慮しながらしっかりと計画をし、補食もあらかじめ考えてレースにのぞみます。
基本的に、長距離ライドに摂取が必要になのは糖分です。血糖値が急上昇しすぎないように「パラチノース」などをスポーツドリンクにプラスしたりしています。固形物を摂取しても大丈夫なアスリートの場合は、バナナやスポーツようかん、パンやお団子といったものを食べることもあります。
──長距離ライド中の栄養補給はあくまでも緊急対応、やはりふだんからの栄養マネジメントが重要になってくるんですね。
鈴木:だから、まずはアスリート自身に「アスリートダイアリー」などの詳細な日誌で、食事、体重、体温の変動、体脂肪の変動などを記録してもらっています。
「こんなときには逃げ切ることができなかった」「こんなときに調子が良かった」など、レース結果とダイアリーの内容を統合し、食べたものとの相関関係を分析するんです。
──きちんと栄養マネジメントをするためには、まず自分の身体についてきちんと知らなければならない。
鈴木:そう。ただ、必ずしも直前の食事だけがパフォーマンスに影響するわけではありません。なにか問題が起こった場合、じつは4日前や1週間前の食事に起因していることも多いんです。なかには2〜4か月前の食事が原因になって問題が起こるケースもあります。
──4か月前の食事がサイクリングに影響する!?
鈴木:たとえば、合宿の際に食事が悪くきちんとした栄養を摂れなかった場合、この影響が2か月後に貧血として現れることもあります。
というのも、身体は「いま生きるための栄養」と「身体を維持するための栄養」の2種類を必要とします。栄養が摂れていない場合、身体はできるだけ少ない栄養で動けるように、うまく調節しようとします。しかし、もともと必要だった「身体を維持するため」の栄養の欠落によって、被害を被る身体の組織もあるんです。
鈴木:普段でも忙しい最中に風邪を引かないで、休みになってから倒れるということがありますよね。免疫系の場合、たんぱく質が摂れなかった影響が現れるのは、数日後になってから。そして風邪の症状が出るのはさらにその後なんです。
つまりこの場合、忙しさのなかでおろそかにした栄養の影響が出るのは、数日から数週間後になります。各組織によって影響が出る時間差は異なり、すぐに影響が出る組織もあれば、2か月後に影響が出る組織もあるんです。
──そこまで大きな時間差があるんですね。
鈴木:だから日々、栄養バランスとエネルギー摂取量と運動量のバランスを崩さず、食事をしていくことが大事なんです。
そのうえで、レースなどに出場するなら、その時間に合わせて生活時間を変えられればベストでしょう。朝早いレースなら、およそ1週間前から徐々にその時間帯に合わせた生活に切り替えていければ、高いパフォーマンを発揮しやすくなります。
──ところで愛媛では、しまなみ海道や石鎚山、佐田岬などの各地でサイクリングイベント、レースが行われているだけでなく、ご当地グルメがたくさんあります。サイクリストにおすすめの愛媛フードはありますか?
鈴木:じつは友人が住んでいることもあって、毎年のように愛媛に行っているんです。松山の生産者が収穫した農作物を直販する『太陽市(おひさまいち)』には必ず足を運んでいます。
──愛媛への愛が深い(笑)。
鈴木:愛媛のおすすめフードとしては、まず「太刀巻き」。竹の芯に太刀魚を巻いて焼いたものですが、栄養的には低脂肪、高たんぱく質なので胃腸の問題も起きにくく、サイクリング前日の食事におすすめです。ただ、太刀巻きを食べる場合には、どうしてもビールが飲みたくなってしまうので注意しなければなりません!
──(笑)。やはりアルコールは避けたほうがいいのでしょうか?
鈴木:アルコールを摂取すると、肝臓に負担がかかりますよね。じつはスポーツの最中も肝臓には大きな負担がかかっているんです。レースなど結果を出したい場合には、アルコールの摂取は避けたほうがいいですね。
また、ゆっくりしたサイクリング中の休憩に最適なのが「じゃこ天」です。手軽にたんぱく質を摂取できるし、塩分(ナトリウム)が高いので、水と一緒に食べれば、汗で失われた塩分も摂取できます。お店によって味も異なるから、自分にぴったりのじゃこ天を探すのも楽しいですよね。
あと、みかんなどの柑橘系は運動直後がおすすめです。ビタミンC、クエン酸、果糖、食物繊維などを摂取できるので、運動によって枯渇した筋肉のグリコーゲン補充にも効果があります。
──いっぽう、サイクリング前に避けたほうがいいのは?
鈴木:気をつけたいのが、「センザンキ」のような油を使った料理。脂質は消化に時間がかかるため、運動前の食事には向きません。センザンキを食べるなら、運動後がいいでしょうね。
また、愛媛はお茶漬け風の鯛めしが有名ですが、さらさらと食べられるぶん、あまり噛まずに飲み込んでしまう人が多いんです。そうすると結局消化に悪いので、運動後に食べるのがいいでしょうね。
──サイクリング前にはタチウオを食べ、休憩中にはじゃこ天、終わってからはみかんを食べて、センザンキで打ち上げをして、締めには鯛茶漬け……。まさに理想の愛媛サイクリングですね。
鈴木:愛媛にはおいしいものがたくさんあります。愛媛フードをバランスよく食べながら、サイクリングを楽しんでくださいね。
神奈川県立保健福祉大学保健福祉学部栄養学科教授。一般社団法人日本スポーツ栄養協会理事長。公認スポーツ栄養士。実践女子大学卒業後、同大学大学院修了。国立健康・栄養研究所研修生を経て東海大学大学院医学研究科を修了、博士(医学)。全日本女子ソフトボール代表チーム(2008年9月まで)、マツダ株式会社陸上競技部、車いすバスケットボール男子代表チーム、横須賀市立総合高校野球部などのトップアスリートからジュニアアスリートまで、多数のスポーツ現場で栄養サポートや指導を行う。著書に『理論と実践 スポーツ栄養学』『基礎から学ぶ スポーツ栄養学』。
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